「日本には資源がないので、海外の資源産出国から資源を輸入し、

日本はそれを加工し製品化し、輸出している」

ということを、私は30年近く前から、

小中学校の社会科の授業で習ってきました。

もっともらしい話なのですが、今日はその裏側もある、という話です。

 

日本には資源はないが、世界有数の資本力と、そして何より技術力がある。

私は子どもの頃からそう思っていましたが、

その世界有数の技術力は、

製品の製造のみに向けられているものである、

と思い込んできました。

 

今から25年近く前、私は大分高専の機械工学科に進学しました。

当時の私は、

将来の技術者として日本の技術力の一部に組み込まれていく、

という自分の未来を信じていましたが、

技術力は必ず「製品の加工・製造」という方向に向かっていくものと思っていました。

 

では、製品とは何か?

機械工学科在学当時の私なら、こう答えていたと思います。

「自動車、テレビ、冷蔵庫、パソコン・・・等など」

結果的に私は順風満帆に技術者になることはなく、

大学の法学部へと文系転向。

行政書士という許認可の世界を入り口に、

廃棄物処理のコンサルタントの道へと進んできました。

 

物流の世界には「静脈物流」という裏側の世界があるように、

技術の世界にもその裏側があるのです。

私は廃棄物処理施設設置に関わっていく中で、

機械工学科在学時代には見えなかったその裏側の世界が見えてきました。

もっとも、これは二十数年間の時差、という時代背景の違いが原因かもしれませんが。

 

昨年、中国政府が廃棄物の輸入を禁止した、という話は、

少し前にこのブログでテーマにしました。

中国発、廃プラの有価性を揺るがした波と今後の展望

 

今年の5月、東京ビッグサイトで開催された2018環境展

私も出展している顧客に招待され、広島から参加したのですが、

そこではいくつかの企業が、

中国の廃プラ輸入禁止に対する回答を用意していました。

 

その一般的な解答は、

「廃プラは今後、日本国内で中間処理(リサイクル)するしかない」

ということ。

 

これまでは、廃プラを破砕してチップ化した段階で、

チップを原料として中国に輸出していた。

あるいは、廃プラを溶融してインゴットにして中国に輸出。

ところが、このチップもインゴットも、

中国は廃棄物であるとして最近、輸入禁止にしています。

 

2018環境展では、

日本国内で排出される廃プラスチック類をいかにリサイクルして、

中国に輸出できるように資源化するのか、

が課題になっていたと私は感じました。

いくつかの企業が、廃プラのペレット化の技術を発表していました。

 

対中国との関係では総合判断説に従うことなく、

ペレット化によって廃プラは「廃棄物を卒業」するのです。

各企業が研究開発した機械によって作られた廃プラのペレットを、

私はいくつか手にとってみました。

 

これは、間違いなく廃プラではなく、プラスチック製造原料である。

そう感じさせる、美しいものでした。

 

これからは、廃プラスチック類を中国で処理するのではなく、

日本で中間処理、ペレット化=原料化して、

その原料を中国に売却することがおそらく主流になってきます。

その後、原料からプラスチック製品への加工は中国で行い、

日本は製品を中国から輸入するということになるわけです。

 

この2国間を跨ぐリサイクル流れを俯瞰したとき、気が付けば、

日本は加工国から資源国へと立場が入れ替わってしまっているという事実。

「日本は資源がないから、海外から資源を輸入して技術力により加工する」

という、私が子どもの頃に教わった図式とはまるで異なるわけです。

中国は日本から資源を輸入し、加工しています。

日本はすでに「資源国」なのです。

 

日本はその技術力を生かして、

廃棄物を資源に転換していかなければならない。

そういう時代に今は突入している、ということを、

私は身をもって感じされられるわけです。

 

廃棄物を資源に転換するための技術としては、

廃棄物処理に関する技術のほかに、

環境配慮型商品の開発という路線もあるでしょう。

これらの技術は、それぞれ独立したものではなく、

複合的なものとして、廃棄物の再資源化に寄与しています。

 

廃棄物処理技術の多くは、今も歴史の浅いものばかりです。

今後も、新しい廃棄物処理技術は続々と世に出てくることでしょう。

 

理系崩れで文系出身の私が、

廃棄物処理技術の世界にこれだけ魅せられていしまったのは、

廃棄物処理の世界は、工学・化学・物理学や、

水処理・排ガス処理・騒音振動などの公害防止技術だけではなく、

法的、経済的な素養も求められる、きわめて分野横断的な領域だからです。

 

理系から文系へと転向した私としては、

こんなにも自分を試される世界はないな、と感じるわけです。

 

(河野)