この事務所のWEBサイトを作った時に、私は自己紹介の文章を書きました。

廃掃法の専門家っぽく、

「未来の地球を守るため」みたいな高尚な理念を掲げられれば格好よさそうですけど、私には理念がありません。

多くの消費者に、市場で私の提供するサービスを受け入れていただければ、それが何よりです。

今でも公開されている自己紹介の引用です。

 

私が環境問題にある程度深く触れたのは、学生時代にさかのぼります。

大学時代(法学部でした)の私は、法学部の「本業」であるはずの法律学に完全に興味を失い、

経済学部や文学部の講義をさまよい歩いていました。

その時に巡り合ったのが、ドイツの環境哲学。

 

初回の講義も鮮明に覚えています。

地球環境問題は、そもそも存在しないのではないか?

1970年代まで、地球温暖化問題は取りざたされることがなかったそうで。

当時は、むしろ地球寒冷化の危機の方が叫ばれていたそうです。

 

1980年代以降、ある知識層が地球環境問題を、政治的要素を大いに含ませ「ながら、

大々的に取り上げていきます。

その知識層こそが共産主義者であり、彼らの攻撃すべき標的は「資本主義」であった。

共産主義者は、資本主義を攻撃する際の題材として、もはやルソーやマルクスでは説得力を失ってしまった。

何しろ当時は、資本主義国家がますます富み、共産主義国家との格差が開く一方だった時代。

 

環境哲学の講義は、政治的な色彩を大いに帯びながらスタートしたのを覚えています。

環境のことを語ろうと思えば、政治的な立場、経済学的な素養、哲学的な思想の全ての上に発言しなければならない。

何しろ環境問題は、政治的であり、経済学的であり、哲学的でもあるのだから。

何も知らずに、「地球環境環境保護」を「正しいこと」と妄信し発言してしまうことは、

「恥ずかしいこと」だと考えるようになりました。

 

廃棄物処理業者のWEBサイトを見ると、環境保全に対する理念が書かれています。

しかし彼らは、理念や地球のことよりもたぶん「儲けたい」と考えていることを、私は知っています。

もちろん、自分の利益のために積極的に環境汚染をしようと思う業者は少数です。

市場での利益追求が、結果的に地球環境の保護に繋がる制度が必要である。

これが、私が学生時代にたどり着いた結論でした。

 

今も、その考え方は変わりません。

産業廃棄物処理業の許可申請こそが、まさしくその制度の一環ではないかと思っています。

私がドイツ環境哲学に触れたのは、どちらかといえば偶然でした。

私が冒頭に掲げた自己紹介の中には、「環境保護思想に対する思い」と、「自由市場に対する愛」を表現してます。

今もこの仕事をしながら、法学部の講義を受けずに文学部に入り浸っていた過去を思い出します。

 

(河野)