先週はビッグサイトで環境展に参加してきました。

     

毎年顔を出し、定点観測することで廃棄物処理技術の進歩が見えてくるかもしれません。
新しい技術も生まれますし、同時に社会情勢も変わります。

   

あくまでも印象論と前置きしておきますが、今年の環境展で感じたことは外国人が多いということでした。
そして、ブース内では何度か中国語が聞こえてきました。  
出展者の中にも、通訳的立場として思われる中国人スタッフがいました。

日本の廃棄物は、世界の資源のようです。
まるで日本の鉱山か油田まで資源の買い付けに来ている中国人
という構図に映ってしまいます。

  

廃棄物処理技術というのは、見たことがある人にはよく分かると思いますが、
新しいものを見ると心が躍ります。

  

私もいくつかの新技術を目の当たりにして、
ぜひこの技術を社会に生かしたい、と思ったものです。

   

もっとも、私にできることといえば以下の2つくらいしかありません。

①その技術を現行の法令の文言に当てはめ、
廃棄物処理施設や廃棄物処理業の許可を申請、取得する

②有価性の証明、廃棄物処理施設設置許可が必要な施設に該当しない等々、
都道府県に疎明することで、無許可で廃棄物処理を行えること(法令に抵触しないこと)を確認する

  

これらの仕事は、破砕機でがれきの破砕の許可を取得したり、
脱水機で汚泥の脱水の許可を取得するよりも、
仕事をしている面白さを感じたりするものです。
珍しい技術というだけで、特別な仕事をしているという感覚。

   

ところで、新しい技術が生まれ、それに魅了されると同時に、
その技術が抱える制限、負の側面がどこかにはあるということも
我々は肝に銘じておかなければなりません。  
環境にもいい、コストも安い、利益が出る、
みたいな都合のいい話は当然ないわけで、人は歴史からそれを学んできました。
ここに、廃棄物処理の新技術の実用普及を阻む一つ目の障害があります。
「社会的受容」とでも表現しましょうか。

  

アスベストやPCBは、環境負荷を一切計算に入れることのないまま、市場に広まっていきました。

原子力発電にも環境負荷の計算式に誤りがあったという評価になるかもしれません。

  

安定型処分場に安定品目以外の混入があるものを
「展開検査で黙認して」受け入れれば、事業者は喜んで次々と産廃を持ち込むでしょう。
一時的には利益が確保されるかもしれませんが、
いずれ到来するであろう土壌汚染や水処理の問題に対しての考慮がありません。
最終的に誰が汚染のコスト負担をするのでしょうか。

   

廃棄物処理技術が世に知られていない最新のものであれば、
行政や市民によって、そういった懸念に晒されることになるわけです。
これを科学で説得しない限りは、新技術が社会に受け入れられることはありません。

   

廃棄物処理の最新技術の実用普及を阻むものは、それだけではありません。
新技術の実用普及を阻む二つ目の障害、それが「法規制」です。

廃棄物処理は、法令により法的規制を受けています。
法令は、廃棄物処理の新技術が未来に向かって拡散していくことを
想定されて立法されているわけではないのです。

   

たとえば、施行令7条の廃棄物処理施設は、
環境負荷の大きいものを限定列挙して制定されたと見るのが自然で普通でしょうが、
今現在、現実の廃棄物処理の実情に照らし合わせてみたときに、
環境負荷の大きなもののみを切り取った類型なっていると言えるのでしょうか。

  

私には、施行令7条に列挙していない、
環境負荷のより大きな廃棄物の処理施設があるようにも思えますし、
逆に環境負荷の小さな施設が施行令7条に列挙されていることで、
設置許可の対象となっていまっているような気もします。

  

なんにせよ、そのように規定がある以上は、
どのような技術もその規定に従うしかありません。
法令はときに科学技術的な見地からは、全く無意味と思われる場合もあります。
廃棄物処理の新技術がどのようなものであれ、
まずは現行法の規定に従って解釈し、
許可申請を行ったり、
あるいは無許可で営業できることを確認するしかありません。

   

さらに、廃棄物処理の新技術の実用化を阻む三つ目の要因として、
「経済的な合理性」が挙げられるでしょう。
どんないい技術でも、市場に受け入れられない限りは普及しません。

  

たとえば、廃タイヤから消しゴムを作る新技術を私が開発したとします。
これはあくまでも仮定の事例です。

  

私の消しゴムは、廃タイヤをリサイクルするので環境にやさしいという売り文句。
ところが、MONOの消しゴムの方がよく消える上に、値段もMONOの方が安い。
そうなると当然、私の廃タイヤ消しゴムは売れないわけで、
いかに技術が素晴らしいと言ったところで、
市場で受け入れられない以上は技術が普及することはありません。

  

これじゃいけない、
ということでリサイクル製品に適用されるグリーン購入法という法律はありますが、
廃棄物処理技術の普及に関しては市場に受け入れられるのが前提でしょう。
市場で受け入れられるかに関して、有機物の自社処理についての私の創作事例を挙げてみます。

  

あるレストランからは、残飯と廃プラスチック類が排出されるとします。
残飯は生ごみとして事業系の一般廃棄物、廃プラスチック類は産業廃棄物です。

  

これまでは、収集運搬及び処分を廃棄物処理業者に依頼していましたが、
その処理費削減のために、自社で小型の生ゴミ処理装置を検討しているします。
この装置は施行令7条の対象外、つまり自社物なら無許可で処理できる機械です。

   

ところが、この処理装置には処理の苦手なものがありました。
生ごみでも、貝殻と油分の多いもの、含水率の高いものなどでは、
うまく処理できないとします。

  

するとこのレストランは、
廃棄物の中からこの装置で処理できるものと処理できないものを分別しておく
という手間が発生します。
分別コストの追加だけで済むのかと思えば、そういうわけでもありません。

  

この機械で処理できないものについては、
これまでと同様に廃棄物処理業者に収集運搬に来てもらわいといけないのです。
仮にすべての生ごみを処理できたとしても、
まだ廃プラスチック類の処理が残っているわけで、
結局のところ処理業者との縁が切れるわけではなさそうです。

 

そうなると、たしかにこの架空の新技術は、
技術そのものとしては素晴らしいかもしれませんが、
結局コストがかかるということで広まっていくことがない。
市場経済の前には、どんな技術的な価値も、無力になってしまうのです。

   

以上、廃棄物処理の新技術の実用化を阻む3つの要因を列挙してみました。
誤解のないよう弁明しておきますと、
冒頭に「心躍る」と表現した通り、
私自身は廃棄物処理の新技術に大きな期待をしているのです。

   

しかし、新技術の普及実用化には、
上記の障害が立ちはだかることは、間違いはないかと思っています。
多くの技術者達は、その「社会的受容」を前提とする「法規制」の壁を、
「自社処理」「裾切り」ですり抜けようとし、
そこで「経済的な合理性」の壁に直面してきたのではないでしょうか。

   

私は、新技術を普及実用化させるためには、
真正面から社会的受容を経て、法規制を受けつつ、
経済的な合理性を市場に示すしかないと思っているのです。

   

正面突破の許可申請、というのが私の持論。

   

(河野)